シニンノカゲ:7章part1
🕑 Added 2025-09-06 13:58:26 +0000 UTC
1. 救いようの無い魂
──2022年12月22日木曜日──
現実を映し出すはずの鏡の向こうは、闇に包まれた死霊の巣であった。
多くの少女たちが姿を消したその闇の中に、虎谷羅那はいる。
外を照らしているはずの夕陽が存在しないかのように、廊下の窓は黒い。
否。この世界には最初から太陽など存在しないのだ。
光のない闇の世界。
校舎の姿をした死者の世界。
ここで、須崎伽耶たちは死んだ。
相変わらず、ここに怨念の気配はない。
今ならその理由が分かる。
"彼女"は誰にも、怨みなどなかったのだ。
誰に対しても怨みを持たず、ただ、手にすることの出来なかった"神からの陵辱"を求め、もがき続ける存在となってここにいる。
「歌巴ちゃん」
「だ、大丈夫…まだ何も…感じてないよ…」
歌巴は喉を震わせながら羅那の問いかけに答えた。
「ありがとう」
「大丈夫だよ歌巴…私がついてるから」
怯える歌巴の肩を、澪が抱く。
歌巴は小さく頷いた。
「羅那!なにかくる!」
突然、歌巴が声を上げた。
歌巴の指が、前方の深い闇の奥を指している。
全員の視線が闇の奥へと向けられる。
光のない廊下の向こうから、何かが──否、誰かが真っ直ぐにこちらに向かってくる。
羅那は身構え、乃恵が羅那の隣に並ぶ。
「あなたは誰…」
羅那の問いかけは闇に吸い込まれていく。
それは真っ直ぐに、足を止めることなく近づいてくる。
学校で聞き慣れた軽快な足音と共に。
足音は羅那たちの前で止まった。
嘘──。
誰かがそう呟いた。
「みんな。おそかったじゃない」
羅那のすぐ目の前で、松山愛維はそう言って微笑んだ。
◯
一昨日
─2022年12月20日火曜日─午後12時45分
意外にも虎谷羅那は冷静だった。
こんな時に、昼休みの生徒会会議に出席出来るほどには。
こんな時に。
愛維が無事かも分からない時に。
旧校舎で待つ悪霊との最後の戦いが迫っている時に。
でも、こんな時こそ、冷静でいないといけない。
そのために、普段通りの生活を心掛けないといけない。
夏に起きた呪詛事件の最終局面──とある島に向かう船の中でも退魔師愛染菊はルーティンをこなしていた。
重要な局面を、普段通りに過ごすことがどれほど重要かを羅那は知っている。
"彼女"との戦いにおいて、やるべきことは全て決まっているのだ。
"あの名前"が頭に浮かびそうになって、羅那は慌てて首を横に振った。
あとは準備を整えるだけ。
そして。
全員と手を取り合うだけ。
それが、準備における最大の難関だ。
「それじゃあこの辺にしておきましょう。解散で良いよ。また年明けにね」
生徒会長の東院京香が立ち上がった。
どうすれば、全員と手を取り合うことが出来るのか。
生徒会室の戸が開いた。
「京香ー。まだ終わんないのー」
とてつもなくスカートの短い女子生徒が顔を出した。
見るからに、派手そうな人だ。
「もう終わった。けどもうちょっとだけやることあるから。さき行っといて。あとでいくから」
京香は机に並べてある書類を無駄のない手つきでまとめて言った。
「あとでって?」
廊下の女子生徒が不服そうに首を曲げた。
「あとではあとで。ほら、早く行っといで」
京香はまとめた書類でぽんと軽く女子生徒の腹部を叩いた。
「はいはい。じゃあ待っとくよ。あっ。有名な子」
顔を引っ込めかけた女子生徒は羅那を見つけ、あっと口を開けた。
「ほらほらいったいった」
京香はまた書類で女子生徒を追い返した。
「ごめんね。ああいう子なの」
京香はぴしゃりと戸を閉めて申し訳なさそうに眉を下げた。
「あ、いえ。大丈夫です。慣れてるので」
本当に慣れている。
「先輩は、色んな人と仲良しですよね」
羅那はさっき廊下から顔を出していた女子生徒のあの派手な格好を思い出す。
あの、多分、服装点検には引っ掛かりそうなギリギリの着こなしの女子生徒を。
「え?そう?」
「はい」
思えば普段、校内で京香を見かける時、京香はああいった派手な生徒たちと一緒にいるところをよく見かける。
文武両道で、真面目の権化みたいな京香がそのような生徒たちと一緒にいるところを見た時、羅那は最初驚いた。
でも、決して京香はその中で浮いてはいない。
京香は溶け込んでいる。
派手な生徒たちの方へ京香が寄っているのではなく、京香の周りにあの派手な生徒たちが集まってきているようなそんな感じだった。
京香なら、何か答えを知っているかも知れない。
違う世界の人々と手を取り合う方法の答えを。
「あの…変なこと聞くかもしれないんですけど」
羅那は詰まりそうになりながら声を絞り出した。
「どうしたの?」
京香は書類を棚に戻し、それから静かに羅那の正面に座った。
「えーっと…どうやったらそういう自分とは住む世界が違うような人たちと仲良くなれるんでしょうか。仲良くまではいかなくても…そこそこ信頼し合える関係になれるんでしょうか」
羅那は背筋を伸ばし、膝に手を置いた。
京香は羅那の質問に驚いたのか眉を上げた。
「世界ね。面白い例えをするのね。羅那ちゃんは」
「え…」
世界の例えは、普通だと思っていた。
「うーん。考えたことも無かったなぁ。世界とかそういう風には。でも確かにそうかもね。さっきの子も、確かに私とは住む世界が違うのかも。本当は」
京香は少しだけ口角を上げた。
「でも、世界が違うからって仲良くなれないとは私は思わないかな。世界が違うなら…旅に出れば良いのよ」
「たび…?」
「そう。他の世界に旅行に行けば良い。旅先で出会った人と仲良くなることってあるじゃない?それとおんなじで…自分の世界から飛び立って、旅に出て、違う世界で出会った人とでも仲良くなれるって考えてみると…いくら世界が違ってもそんなのは関係ないって思えるんじゃない?」
京香は、自分とは違う世界を自由に移動できるそういう星に生まれたようだ。
でも、羅那は違う。
「どうやって旅行に行けばいいのか分からなくて。私はずっと自分の世界から飛び出せていません」
自分はずっと、自分の世界に閉じこもっている。
愛維たちと一緒にいても、常に彼女たちのことを自分の世界から眺めている。
「そういう時は、世界なんてないんだって思うしかない」
京香はハッキリと言った。
「世界って、結局は自分の中で作ったもの。意識しちゃえばしちゃうほどそこから抜け出せなくなるんじゃないかな。世界があるんだって思うと、自分とは違う世界の人を遠ざけてしまう。それなら最初からそんなものはないって思った方が楽に接することが出来ると私は思うかな」
京香はぴんと背筋を伸ばしたまま、背もたれにもたれた。
今更、世界を意識するなというのは自分には難しいなとそう思った。
「…まぁ難しいよね」
京香は困った顔をして笑った。
「世界を無くせないなら…自分の世界をもっと柔軟なものにするのも良いのかも知れないわね」
「柔軟…ですか」
「そう。普段は別々の世界でも、一緒にいる間は溶け合える世界。あるいはね…重なり合える世界」
京香は両手の指をぎゅっと組んだ。
自分の世界を、他人の世界と絡み合わせて溶け合う…それは…そんなことをすれば…
「自分が自分じゃなくなっちゃうことは…」
それが不安だった。
羅那が言うと、京香はふふふと笑った。
「大丈夫。自分の世界なんてそうそう崩れることはないから。特に…羅那ちゃんみたいな子は芯が強いから」
京香の赤茶色い瞳が羅那を見つめた。
芯が強い。
京香もそうなのだろう。
あれほど校則違反ギリギリの人たちと一緒にいても、学年トップの成績を保ち続けているのは京香の芯が強く、自分の世界の形を保ったままだからだ。
自分の芯が、京香の言うように強いのかは分からない。
でも、京香のようになれるのなら。他の世界の人々と交わることを恐れる必要もない気がする。
「仲良くしなくても、結束し合うことは出来るかも」
「それは…どういうことですか」
羅那は、仲良しと結束力は切っても切れない存在だと思っている。
「私、中学の頃もバレー部のキャプテンだったんだけど…あの頃も高校に入ってからも…やっぱり、仲間と打ち解けあうのって大変だった。私も人間だから全員と仲良くは出来ない。けど、仲良くしなくてもチームとしての結束力は出せるのよ。まずは、お互いに気を遣わせない関係になること」
「それは…仲良しとは違うんですか?」
「うーん微妙に違うかな。中学の頃にね、お互い嫌い合ってたチームメイトがいたんだけど…練習中や試合中なんかはその子との連携ってむしろすごく上手くいったの」
「どうして…ですか」
「嫌いって、相手のことをある程度分かってるから抱く感情だと思うのね。つまりね…"嫌い"っていう結論に至るくらい相手のことを知ったってこと。だからお互いにお互いのことをよく知ってたから連携は出来たってこと」
「でも、場合によっては仲が悪すぎて連携できないってことはないんですか」
「あると思う。こっちが歩み寄っても無理な場合はお手上げね。でも、仲良しにならなくても相手のことをよく知りさえすれば…一応、手を取り合うことは出来ると私は思う」
「相手のことを知る…」
退魔と一緒だ。
「相手のことを知るには、本心を知ること。気を遣ってるうちはやっぱりお互い警戒しちゃうから、本心なんて出さないよね」
「そう…ですよね…」
「でもそういうのって大抵、自分がバリア張ってる可能性があるのよ。だから向こうが近寄れないこともある。私もそうだったから。だからね、本心を知りたい相手には私は敢えて隙を見せることにしてる」
「隙…」
「リラックスするの。例えば、自分の家にいる時みたいに」
京香は背もたれに思い切りもたれかかり、脚を組んだ。
見たことのない京香の姿勢だった。
「私、家ではこんな感じで漫画読んだりしてる」
京香は真面目な顔でそう言った。
可笑しくて、羅那はぷっと笑い声を漏らした。
今の京香を見ていると、色々と突っ込みたくなった。
これが隙か。
自分は、愛維たちに隙を見せていなかったようなそんな気がする。
自分のことを知ってもらおうと思っていなかった。
「先輩。ありがとうございます。なんか…分かった気がします」
羅那は久しぶりに気分が高揚しているのを感じた。
自分でも気付くほど声に張りが出ている。
「うん。良かった。愛維ちゃんたちと仲良くなれるといいね」
京香は立ち上がった。
「えっ」
羅那は驚いた。
羅那は別に、質問の目的を話してはいなかったのだが、京香には見透かされていたようだ。
「彼女…無事だといいんだけどね」
京香はため息をつく。
愛維は元々バレー部に所属していた。
だから先輩の京香とも面識はある。
愛維は以前、退部した理由として先輩がスパルタ過ぎてついていけなかったと愚痴をこぼしていた。
その先輩というのが京香なのだ。
「羅那ちゃん。失踪事件では色々噂が流れてるけど…ほら、お化けの仕業かも、とかね。そうなると羅那ちゃんが責任感じるのも分かるんだけど…全部の責任を背負う必要はないからね」
京香は戸に手を掛ける。
「たまにはね…見て見ぬふりをしても良いことも私はあると思うから。あんまり無茶しないように」
京香は、座ったままの羅那の華奢な肩に優しく触れた。
「じゃあね。あんまり待たせると怒られちゃうから」
京香は微笑み、戸を引いて生徒会室から出ていった。
戸が閉まる音がして、こつこつと京香が去っていく足音を聞いてから羅那は立ち上がった。
視界にポストが目に入って、またしばらくご意見ポストを確認していなかったことを思い出した。
この前、投函されていたあの奇妙な告白文が羅那の頭に浮かぶ。
羅那はあの告白文に対して一応、返事をした。
その返答は返ってきているだろうか。
羅那は恐る恐るポストを開け、中に手を突っ込んで漁った。
ポストの底にへばりつくようにして一枚の紙があった。
羅那はカリカリと指先で剥がすようにして紙を拾い上げる。
心臓が大きく強く、胸を揺らしている。
この前の返事か。それとも別のものか。
羅那は震える手で紙を裏返した。
"私の大罪をこの世で贖うことは出来ないようです"
紙には綺麗な字でそう書かれていた。
「あがなう…」
思わず、そう呟いた。
贖う者に成ろうとした"彼女"のことがぼんわりと頭に浮かんで、羅那は慌てて紙を伏せ、彼女の姿を掻き消す。
これは、彼女からのメッセージか。
ならば、死者である彼女がどうして生者の言葉でこんなものを送ってくるのか。
死者が生者の言葉を使わないわけではないが、旧校舎から羅那や愛維の元に送られてきたメッセージはどれも鬼界文字だった。
これが、彼女からのものならば何故、生者の言葉を使うのか。
「もしかして…」
これは、生きていた頃の彼女からのメッセージなのではないか。
羅那はそんなことを思った。
あり得ない話だけれど、怪異が相手ならばあり得ないと切り捨てることはできない。
彼女は、やはり何か罪を犯して贖う方法を求め、贖う者に成ろうとしたのか。
彼女は、赦しを求めているのか。
彼女は。
"藤島小百合"は。
羅那の脳裏に、あの三白眼の少女が湯気のように立ち昇ってくる。
心臓の鼓動は妙に落ち着いていた。
鼓動は小さく、ゆったりと胸を打っている。
どこからか、蝉の鳴き声が聞こえた。
そんな季節だっただろうか。
蝉の鳴き声を聞いていると、正体の分からない哀しみや不安が押し寄せてくる。
藤島小百合も、最期はこんな気持ちだったのか。
喉まで込み上げてきた哀しみが、羅那の喉を震わせた。
立っていられなくなって、羅那が机に手を突いた時。
戸ががらりと開いた。
「あ。いたいた」
叶夢が嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「叶夢ちゃん…?」
「仕事終わった?"作戦会議"あとちょっとやっておこうよ。もう昼休み終わっちゃうよ」
叶夢はそう言って羅那の手を引いた。
いつの間にか、全身を浸していた哀しみと不安は消えていた。
◯
──2022年12月19日月曜日──
寒川 真冬は眉を寄せ、こめかみに指を当てた。
他所の神社というのはどうにも落ち着かない。別に悪いことをしているわけでもないのに、いるだけで後ろめたさがついて回る。
鈴湖神社は、この町で唯一の退魔師が在籍する神社である。
ついさっき、予期せぬ事態に見舞われた真冬は、その場に居合わせた女子高生を連れてここに来た。
この神社に属する退魔師は、虎谷羅那の知り合いらしく、ここなら安全だろうという話だ。
だが正直、真冬は気まずい。
ここがよその神社であるということだけでなく、この神社に属するこの町唯一の退魔師である八田水羽を真冬はこの前尋問にかけたばかりなのだ。
水羽は最後まで口を閉ざしていたが、まさか彼女と虎谷羅那に関わりがあり、虎谷羅那が今回の旧校舎の一件にも関わっていたとは──。
いや。
正直なところそこまでの驚きはなかったのだ。
やっぱりそうか。真冬はそう思った。
なんせ虎谷羅那というのは心霊界では知らぬものはいない存在だ。
羅那は、20年以上も心霊に関わってきた真冬でさえ知らないことを知っているし、その経歴も真冬などよりよっぽど壮絶だ。
本人を生で見るのは初めてだったが──
──こんなに純粋そうな少女が夏の呪詛事件を解決に導いたとはとても思えなかった。
今、石油ストーブを挟んで正面に座っている姿を見ても、印象は変わらない。
羅那の隣には彼女の友人である鉢上乃恵と西原叶夢がいる。
さっきの旧校舎の鍵を盗む作戦はどうもこの叶夢という女子生徒が発案したらしい。
真冬と羅那は見た。
かつて旧校舎──姫咲学園で起こった悲劇の一部始終を。
虎谷羅那の所持していたスマートフォンに掛かってきた謎の電話番号からの着信…それに応答した瞬間にあの光景は真冬と羅那の頭に映し出された。
あれは、あの"鏡の中の女"によって殺された赤電話の怪異からのメッセージだと羅那は言う。
赤電話の怪異とは、旧校舎にまつわる七不思議でありその正体は──真冬たちの見たものが現実であるならば──姫咲学園の生徒だった"美愛"なる少女だ。
──あれは、美愛さんなんです。間違いありません。この目で見ましたから。
羅那は言って、鉢上乃恵を見た。乃恵も頷いていた。
虎谷羅那は幾度も旧校舎に足を運んでいるだけでなく、今回の失踪事件のキッカケともなった日にも旧校舎に侵入している。
真冬は、虎谷羅那たちから事件に関するほとんど全ての話を聞いた。
と言うよりは聞き出したと言った方が適切だ。
今もそうだが、羅那たちは真冬を警戒しており、すぐには話してはくれなかった。
羅那たちは、自分たちが事件の引き金を引いたと考えているのだ。そんな中、警察の人間に全てを打ち明けるのは当然、気が引けるだろう。
退魔師でさえない普通の女子高生を一人一人時間をかけて尋問するわけにもいかない。
だが。
──こっちも手の内を明かすわ。
真冬は、今回の失踪事件の捜査本部長が突然捜査を打ち切ったこと、そしてそれは真犯人の目星がついたからだというにわかには信じられない理由であることを羅那たちに打ち明けた。
今回の失踪事件の真犯人が人間であるなど、信じられるわけがない。
真冬は見ている。
あの旧校舎に潜む人ならざる者たちを。
聞けば、西倉山高校側も警察の対応に納得しているというのだ。
地元警察はこれまで、幾度か誤認逮捕を繰り返している。
今回の突然現れた真犯人候補とやらも罪なき人間の可能性が高い。
このままでは無実の人間が罪を着せられるかも知れない。
だから真冬は単独で動いたのだ。
今日、旧校舎に乗り込むために用務員室を訪れた。
そしてそこで、羅那たちと遭遇した。
この状況で、心霊に詳しい一人の女子高生を中心に集まった生徒たちが旧校舎の一件に関係がないとは思えなかった。
羅那たちは何かを知っている。
真冬は確信した。
警察があてにならない以上、なりふりは構っていられない。
真冬は羅那たちを捜査に協力させることに決めた。
水羽に対してとったような威圧的な態度ではなく、あくまで協力者としての態度で少女たちと接した。
真冬は全てを打ち明け、羅那たちからも全てを打ち明けてもらった。
情報を交換し終わって頭を整理していると、つい無言になってしまう。
真冬たちのいる神社の休憩所には、しばらく沈黙が流れていた。
「あの。ごめんなさい」
羅那が突然立ち上がって、頭を下げた。
「すぐに報告するべきでした」
羅那は顔を上げた。くっきりとした二重瞼の丸い目が、真冬を真っ直ぐに見つめている。
これには、真冬も驚いた。
まさか、ここまではっきると謝られると思っていなかった。
この歳の少女が、自分の過ちを認めて真っ直ぐに謝るなど。
「捜査にも影響を与えてしまったと思います。私が話していれば、失踪者はここまで増えていなかったと…」
羅那が言うと、鉢上乃恵と西原叶夢も立ち上がり、頭を下げた。
こうも真っ直ぐに謝られると強くは言えない。
「確かに貴女たちが旧校舎に忍び込んだことを教えてくれていれば、今は違う状況だったかも知れない。すぐに私たち特霊課に任されていたかも。でも、上層部が褒められたような人たちじゃないからね。何も変わらなかった可能性も大いにあるわ」
きっと、羅那たちが最初から全てを話していたとしても…霊の存在を否定しているような地元警察の上層部は特霊課を動かすつもりはなかっただろうと思う。
「貴女たちに信頼されようとしなかったこちらの責任でもある」
真冬はため息をついた。
はなから霊の仕業であることを前提で事件に接するのも避けねばならないが、上層部のように霊の関与を完全に排除するのも考えものだ。
「地元の治安を守る警察組織の一人として私にも責任がある。ごめんなさいね」
真冬が言うと、羅那たち3人の少女は顔を見合わせて固まった。
逆に警察官に謝られると思ってはいなかったようだ。
「あのー私、寒川さんにめちゃくちゃ尋問されたんですけどそれに関しては…」
隅っこでお茶を淹れていた退魔師の八田水羽が恐る恐る真冬の顔を見た。
「あら。あれはお互い様でしょ?貴女も私も不法侵入だったんだから。ああいうのは取り締まらないと」
「えーっ…」
水羽は不服そうに目を細めた。
「話を進めましょう」
真冬は水羽を無視して少女たちの方を見た。
「はい」
羅那たちはもう一度座った。
「まず…さっき私たちが見たのはかつて旧校舎…当時の姫咲学園で起こった"藤島小百合"による怪奇事案ということで間違いないわね」
「そうだと思います」
「虎谷さんのスマートフォンに着信があったのは、貴女が以前、旧校舎に侵入した際に赤電話の怪異と遭遇したから…ということ?」
「関連はあると思います。赤電話は乃恵ちゃんが壊したんですけど…」
「壊した…?」
「はい。階段からばーんって」
羅那は両手を振り上げて、下ろした。
「なるほど…それで原因で貴女のスマートフォンに…」
美愛なる少女は、校内の電話を手に取った直後に絶命し、彼女の怨恨は電話に宿ることになった。
その赤電話を羅那たちが破壊した──ただ、それだけで美愛の魂が完全に浄化されたわけではないだろう。
恐らく、破壊された赤電話から溢れ出た美愛の念が、同じ電話である羅那のスマートフォンに染み込み、美愛の記憶を見せた…と考えられる。
勿論、推測でしかないが。
「赤電話の怪異は、自分たちの記憶を虎谷さんに見て欲しかったのでしょうね」
「それなんですけど…あの…それこそ藤島小百合が見せた偽の記憶ってことはないんですか?」
水羽が訝しげに目を細めた。
「流石に疑い深いわね。でも…その心配はないと思うわ」
「どうしてですか?」
「あの記憶は、彼女にとっては都合が悪いものだから」
あの記憶が真実ならば、あの記憶には藤島小百合にとって不利となる情報も多く含まれている。
彼女がかつて、美愛に見せた偽りの光景──追い詰められて自死に至ったかのような光景──のようなものである可能性は低いと真冬は見ている。
「なるほど…確かにそうですねぇ…」
水羽は頷きながら、繰り返しなるほどと呟いた。
「あの記憶は、彼女たちの最後の抵抗…最後に遺した武器だったのかもしれない」
真冬は、あの少女たちの死に顔を思い出した。
人が死ぬ場面に遭遇するのは慣れているが、やはり──自分よりも遥かに若い者が死ぬ光景はいつまで経っても慣れない。
尤も、彼女らがもし存命ならば真冬よりも歳上ではあるのだが。
「寒川さん。須崎伽耶さんたちは…何故…殺されてしまったのでしょうか」
羅那は、目の前の石油ストーブをじっと見つめて言った。
「須崎さんたちは何か、間違っていたのでしょうか」
──私たちは、何を間違えたの?
美愛なる少女のあの哀しげな声が頭の中でこだまする。
ストーブの熱気でぼわぼわと揺れる空気の向こうに見える羅那の目は、哀しげだ。
「虎谷さん。貴女は、彼女たちに過ちはなかったとそう思っているのね」
真冬が言うと、羅那は顔を上げた。
「はい。確かに須崎さんたちは怪異に対して優し過ぎたのかも知れないです。でも、それは過ちじゃない。いざという時、実力行使できるように弘道さんも同行していました。あの状況では、誰も頼れなくて…それでも失踪事件を1日でも早く止めるために、彼女を救済するために…非力なのは分かっていたけど立ち向かった…それは過ちじゃないと思います…そう…思いたいです」
羅那の口調は冷静だったが、膝の上の拳は強く握り締められていた。
なるほど。
隠せぬ悔しさを滲ませる羅那を見て、真冬は納得した。
この女子高生はやはり単なる物知りの女子高生ではない。
これで。この正義感と優しさで呪詛事件を解決に導いたのか──。
「気持ちは分かるわ。それでも、美愛という少女や他の人たちも…過ちがあったのだと思い込んでいる可能性はある。恐らく…そもそも自分たちだけで"あの女"に立ち向かうべきではなかった…ということを過ちと捉えているのかも知れない」
「そう…ですよね」
羅那は下唇を噛んだ。
「立ち向かわなかったら…生きてたんですよね。須崎さんたちは」
羅那は言って、当たり前のことですけどと付け足した。
「そうね。ただ…彼女たちの犠牲があったからこそ、私たちは藤島小百合の本性を知ることが出来た。これは大きいわ。だから…須崎伽耶さんたちの最終目的があの女を倒すということであれば、立ち向かったのも過ちではなかったのかもね」
須崎伽耶たちが立ち向かったお陰で、二十年以上の時を経て"彼女"に挑むことになる真冬たちは彼女の本当の姿を知ることができている。
本当の姿を知っていることで、須崎伽耶たちが挑んだ1998年の戦いとは状況が大きく変わる。
須崎伽耶たちは、自分たちが知らなかった"彼女"の真の姿を、未来の羅那たちに託したのだ。
同時に"彼女"との決着も託されている。
失敗は許されない。
彼女を倒せばきっと、須崎伽耶たちの怨念も晴れることだろう。
失踪者たちのためにも、須崎伽耶たちのためにも、負けられない。
「須崎伽耶さんたちの託した情報には、"彼女"の弱みとなる情報がたくさんあるように思えるわね」
「そうですね…まず、彼女が追い詰められて死を選んだのではなく、"贖う者"になろうとして自死に至った可能性が高いこと」
「贖う者に成るのが目的…?」
乃恵が小さな声で言った。
「悪霊になっても贖う者に成ることに執着して犠牲者を増やしている藤島小百合さんからは、罪を贖おうとする意思が見えなかった」
羅那が俯く。
「あの姿から感じたのは、何がなんでも贖う者に成ろうっていう強い意志だけ…。人の命を奪うことなんてなんとも思ってないみたいな…」
羅那は苦しげに眉を曲げた。
「須崎伽耶さんたちには…それが分からなかった。当たり前です」
自死したと聞けば、誰だって精神的に追い詰められた結果だと思うだろう。
贖う者のことなんて単なる女子高生だった須崎伽耶たちが知るはずがないのだ。
真冬でさえ羅那から聞くまで存在も知らなかったのだから。
彼女は、追い詰められて死を選んだのではなく──自ら進んで死を選んだ。
贖う者になるために。
「贖う者になるためには、
大罪を犯している必要があります。彼女にとっての大罪というのは…恐らく──」
──自分を殺したこと。
羅那と真冬は同時にそう言った。
「自分を…」
水羽が呟く。
「贖う者になれる具体的な条件というのは分からないんですけど…自分で大きな罪だと感じるような行為が必要であることに間違いないです」
「"彼女"にとっては…それが…自殺…なの?」
納得いかないのか、乃恵が眉をひそめる。
「大きな罪って人によって感じ方は違うよね…彼女にとっては、自殺がそうだったってことなのかな」
叶夢が顎を触りながら言った。
「そう思う…。たぶん…人の命を奪えば贖う者に成れる確率も高くなると思うんだよね…殺人って取り返しのつかない重い罪だから…。実際に、古井戸村五十人殺しでは、五十人の命と引き換えに犯人は贖う者になってるし。でも、単なる女子高生に流石に五十人は殺せない…。それどころか誰か一人を殺すこともかなり高い壁になる。だから"彼女"は…自分の命を犠牲にすることを選んだ…とか」
羅那はこめかみに指を当てて少し背を丸めた。
「彼女は贖う者になるために…"自分を殺した"ってところね…」
真冬は、自分でそう言っておいて妙な気分になった。
贖う者となるために、彼女は自分を犠牲にすることを選んだ。
彼女にとってはそれが大罪のはずだったのだろう。
「あの…本当はもっと別の大罪を犯していてそれで贖う者になった…とかって説はない?」
乃恵が背筋をうんと伸ばしてから、言いにくそうにそう言った。
どうだろう。と羅那は首を捻った。
「もしそうなら…自死を選ぶ必要はなかったんじゃないかな」
「そうね。自死の前に大罪を犯しているなら…それ自体が贖う者となる罪の材料となる…。わざわざ自分の命を投げ出す必要はないと思うわ」
真冬が言うと乃恵は唇を窄め、なるほど…と小声で言って小刻みに頷いた。
実際、羅那によると古井戸村の件でも贖う者となった女自体は命を投げ出してはいない。
「贖う者になる具体的な条件が分からない以上は、確かに他に大罪を犯しているのかも知れないと考えるのも悪くはないわ。けれど、少なくとも殺人なんかは犯していないはず。あの歳でそんなことをしていたら…記録に残っているはずだからね。でもそんな記録は見たことがないし、彼女の知名度を考えるに…大事件に関与したとは考えにくい」
羅那によると古くからこの学校の近くに住んでいる人々でさえ彼女のことは知りもしなかったようだ。
彼女の年齢から考えて、高校入学以前…小学生や中学生の頃に大罪を犯していたという線も考えにくい。
未成年の…それも中学生以下による大罪など数える程しか記録されていないのだから。
彼女が完全犯罪を犯していたなら話は別なのだが、それはあまりに可能性の低い話だ。
「罪って色々ですよね。なにも殺人とか法を犯すことだけが罪ではないし…」
叶夢がぼうっと石油ストーブから放たれる熱を見つめて言った。
確かにそうだ。
罪の意識というのは何も、法を破ることによって生まれるものばかりではない。
法では裁けない行為にも、罪の意識を持つことはある。
罪悪感なんかもそうだろう。
自分のせいで誰かを死なせたとか、不幸にさせたとかそういった後悔もきっと罪の意識につながる。
でも。
その程度で…贖う者という超越した存在に成れる気は──しない。
「分からないことは多いけれど…祭壇の上で自分の命を犠牲にするという"彼女にとっての大罪"を犯したのは事実。彼女が贖う者になるために己の命を捧げたが失敗した…と考えるのが自然ね。問題は、その目的なわけだけれど」
「目的…神様に会うこと以外に?」
乃恵が少し足を開いて前傾姿勢になる。
「うん。中には本当に罪を償いたいから贖う者になろうとする人もいるって神衣さんが言ってたでしょ。さっき言ったように死んでも犠牲者を増やしている藤島小百合さんはそこには当てはまらないと思うけど」
「神衣?」
虎谷羅那の口から出た神衣という名前につい、反応してしまう。
虎谷羅那は、呪詛事件で島崎神衣と協力関係にあったという話だ。
「あ、いえ…ちょっと前に…」
羅那は、あっと口を手で抑え、あからさまに取り乱した。
すごく分かりやすい。
「まぁいいわ。今のは聞かなかったことにする」
真冬は目を閉じて眉を上げた。
藤島小百合が自分の命を犠牲にしてまで、そして死しても生者を殺し続けてまで贖う者に成ろうとする目的は。
やはり神との謁見か。
しかし、そんな一説に過ぎないもののために、人はそこまで本気になれるものか。
「もし、須崎伽耶さんの言ったように藤島小百合さんが救いようのない存在だったら…やっぱり彼女を…倒すしかないんですよね。救済するのではなく」
羅那は俯きながら、目だけで真冬を見た。
「そうするしかない。24年前に須崎伽耶さんたちがやり損ねたことを、私たちがやるしか…」
仮に救済の余地があるならば、そうするのが良いのかも知れない。
でも、今のところその可能性は低い。
「それにしてもどうして今更、藤島小百合は動き出したんですかね?」
水羽が人差し指を唇に当てた。
「それは恐らく…須崎伽耶さんたちによる抵抗が彼女にはかなりの深傷だったから…だと思うわ」
真冬は水羽の淹れたお茶の入った湯呑みを手に取る。
「彼女の素性があの記憶の通りで、私の推理も確かだったとするならば…彼女には強い怨念がない。誰かを恨んで死んでいないからね。通常は、ある程度のダメージを受けても怨念が消えない限りは無限に存在することができるのが怪異。でも、彼女のように強い怨念を持たず、贖う者に対する執着のみで存在している場合…ダメージを与えられるとそれが致命傷になる」
「須崎伽耶さんたちのお陰で…しばらくは何も起こっていなかったんですね」
羅那は湯呑みから立ち上る湯気を寂しげに見つめて言った。
「そうね。それに、須崎伽耶さんたちの一件で旧校舎も閉鎖されたから…失踪事件に終止符を打つという意味では…彼女たちの犠牲は無駄じゃなかった」
「須崎さんって人は、包丁で藤島小百合を刺したんだっけ?」
乃恵は両手で湯呑みを包むようにしながら羅那を見た。
「うん。あれは"般若の包丁"っていう…"千年呪物"の一つ。降魔刀なんかとおんなじ。退魔に使われてたみたいだけど、正確には退魔具ではなく、呪物。般若自体は千年も前から存在していないから、実際に千年物の呪物ではないけど。とにかく凄い呪物だから…彼女があれだけのダメージを負ったのも納得…」
羅那は感心したようにうんうんと頷きながら言った。
「うーん…彼女はそもそも怨念がないのにどうして存在していられるんですかねー。しかも…般若の包丁で致命傷を与えられたのに今も存在してるって…かなり異質ですよね」
水羽は立ち上がって、二杯目のお茶を淹れに行く。
「それは…やはり贖う者への執着心が強かったからかもね。そして…今彼女が行方不明者を出せるほどに力を復活させられているのは…これは憶測だけれど…須崎伽耶さんたちの怨念を吸い上げているんじゃないかしら」
「他の怪異の怨念を?」
水羽が振り向く。
「そういったケースを聞いたことがある。彼女が、怪異となった須崎伽耶さんたちを使役しているなら尚更その可能性は高くなる」
「じゃあ、須崎伽耶さんたちを浄化させれば彼女自体も弱体化させられるんですかね」
羅那が目を大きく開けた。
「そうね。それはかなり有効だと思う。出来ればの話だけれど」
相手は六人もいる。彼女も含めれば七人だ。
その数をいっぺんに相手にするのは、正直、真冬でもキツい。
真冬は上からの命令を無視して勝手に動いている上に、退魔師への締め付けもキツくなっている現状では誰かに協力も頼めない。
前回、真冬と水羽と羅那が旧校舎に立ち入った際に姿を現したという彼女は、どういうわけか羅那と水羽には手を出さなかった。
つまりそれは、あの時の彼女にとって水羽や真冬が厄介者だったからに他ならない。
羅那だけならとっくに喰われていただろう。
その直後、水羽と二人きりになった真冬のもとに怪異となった須崎伽耶たちがけしかけられた。
どうやら彼女は、自分が勝てる状況でしか手を出してこない計算高い面も持っている。
他の退魔師も引き連れていけば、彼女に警戒される可能性が高い。
「出来ると思います。須崎さんたちの浄化」
羅那はハキハキとした口調ではっきりとそう言った。
「自信があるの?」
「はい」
「ちょっと待って。まさか…同行するつもり?」
真冬が目を細めても、羅那は変わらない真っ直ぐな眼差しで真冬を見ていた。
「勿論です。私には責任があります。それに…美愛さんにも想いを託されましたから」
だから、私だけでも行きます。
羅那は力強くそう言い切った。
「何言ってんの。私も行くよ」
叶夢が羅那に向かって手を伸ばした。
「私も」
乃恵が叶夢の手に自分の手を重ねる。
真冬はオデコを触って目を閉じた。考え込む時の癖だ。
いくら呪詛事件を解決に導いているといえど、羅那のような普通の女子高生を連れていくのはリスクが高い。
何かあった時の責任など真冬には取ることが出来ない。
しかし、仮に失踪者たちが怪異となっていた場合、生前に親交のあった羅那たちがいた方が都合が良い。
なにより。
美愛が想いを託したのは恐らく"羅那"だ。真冬はたまたまそばにいたから美愛の記憶を見ることができたに過ぎない。
それならば、やはり彼女が行くべきなのだろうと思う。
しかしやはり、身の安全を考えると──。
いやそもそも、真冬がいくなと言ったところで彼女らは動くような、そんな気がする。
「分かったわ」
真冬はふうと息を吐き、両掌を羅那たちに見せた。
「でも…絶対にいざという時は私の指示に従って。いい?」
「はい」
「大丈夫ですよ。私も行きますから」
水羽が言って、ごくりと湯呑みの茶を飲み干した。
「み、水羽さんっ?いいんですか?」
「あ、当たり前っ。私、この町唯一の退魔師だよ?いま動かないといつ動くのって話…!」
水羽はぐんと胸を張ったが、声は少し震えていた。
「心強いです」
羅那が微笑むと、水羽は照れくさそうに笑った。
羅那はお茶を飲んで立ち上がった。
「須崎伽耶さんたちが命を賭けて戦って、弱体化まで持ち込んだ。須崎さんたちの"失踪"で…校舎は閉鎖されて…誰も彼女に攫われなくなった。結果的に"彼女"は誰も近づかない空間に閉じ込められた。誰かがその箱を開けなければ、それは永遠に閉じたままだったのに…」
羅那は拳を力強く握り締める。
細身だが、拳は意外と大きい。
「それなのに、私たちがその箱を開けてしまった。須崎伽耶さんたちの勇気を…無駄にしないためにも終わらせます。今度は箱そのものを…なくします」
「そうね…怨念を吸っている彼女の力が過去と比べてどれほどのものか未知数だけれど、恐れている暇はない」
真冬は立ち上がった羅那を見上げて言った。
立ち上がった羅那の姿は、なんだか真冬には眩しかった。
しばらく、石油ストーブの音だけが休憩所に響いた。
「あの…」
叶夢の声が、静寂を破った。
「愛維は…他の失踪者たちは…24年前と同じようにやっぱり…」
叶夢はそこまで言って、黙った。
きっと無事よ。
なんて無責任なことは言えなかった。
もし、彼女が24年前と同じことを繰り返しているのなら、失踪者たちは既に殺されているかも知れない。
「まだ分からない」
真冬はそれだけを言った。
分かっていることは、まだ分からないということ。
現実を見つめるべき状況でも、希望は捨ててはならない。
「まだ分からないからこそ、望みを捨ててはいけないわ。私たちはやるべきことをやりましょう」
真冬は、ぐいとお茶を飲み干して立ち上がった。