シニンノカゲ:6章part1
🕑 Added 2025-08-15 11:45:25 +0000 UTC
1. 姫咲トワイライト①
──1998年7月──
おーい。
アブラゼミとヒグラシの声が重なり合った合唱の中、"須崎 伽耶(すざきかや)"の声がとても遠くから聞こえたような気がして、私ははっと目を覚ました。
伽耶の不機嫌そうな目が私の視界に飛び込んで来た。
「ねぇ。聞いてんの?珍しいなうとうとしちゃってさ。みんな集まったから作戦会議するよ。どうやってこの…"失踪事件"を解決するか」
伽耶はうーんと首を捻り、顎を撫でた。
夏用の半袖セーラー服に校則違反の短いスカート。
首元まで伸ばした黒い髪は、よく見れば左側頭部に編み込みを施しており、そこには小さな朱色の鈴緒が編み込まれている。
「敵は決まってんだよ」
伽耶はいつものようにどかっと朝礼台に座り込む。スカートを短くしている上に脚を大きく開いているから、パンツが丸見えだった。
伽耶は、どちらかと言うと不良生徒である。
少なくとも私と比べれば間違いなく不良だ。
…と言うとまた言い合いになるのだけれど。
「敵って…どうせ今回もオバケでしょ?あー最悪」
校舎にもたれかかっていた"春香"がうんざりと言ったように口を大きく開け、眉を思い切り曲げた。
童顔なのも相まって、駄々をこねる子供のような表情だった。
「ちょっと春香。もうちょっとこっち来なよ。作戦会議すんだから」
伽耶が呼び掛けても、春香はオデコにうっすらシワが出来るくらい眉を上げて首を横に振った。
もう夕暮れ時だし、昼間ほど強い日差しは出ていないのだけれど、それでも美白狂の春香は日に当たりたくないようだ。
頭にタオルまで被っている。
「ったく…あれだからあの小娘は…。まぁいいや。時間もないしさっさと作戦会議始めちゃおう」
伽耶は、春香に聞こえるくらい大きな舌打ちをしてからぱんと手を叩いた。
「我が校で起きている"連続失踪事件"その主犯であろう"あの女"をどうやってぶちのめすか!」
伽耶はいつも勢いで突っ走り、事件を解決する。
それは勇敢でなければ出来ないし、私たちは彼女のその勇気に引っ張られるようにして事件に挑んでいる。
それは悪いことではないと思う。いつも、危険と隣り合わせでギリギリの勝利なのだけれど。
それでも、今回の件はこれまでとは違う。
だから──
「ねぇそれ…本当に私たちが手を出して良いの?これまでと違って現在進行形で被害者出てるわけだから先生とか警察とか…大人に任せるべきじゃないの」
私はそう言った。
伽耶は案の定、片眉を上げて不快そうな顔をした。
「"美愛(みあ)"…あんたねぇ。本気で大人が頼りになると思ってる?教師どもさえ幽霊の話なんか本気にしないのに、警察なんかもっとダメ。前に相談した時だって、相手にされなかったでしょ。あいつら、頭硬いのよ」
「まぁそうだけどさ…」
警察は確かに霊の関わる事件を受け付けない。
この前の、"永久参道"の怪異さえ取り合ってもらえなかった。
あれも結局、私たちで解決したのだ。といっても
ほとんどは伽耶の頑張りなのだけれど。
「あいつらの怪談なんてお岩さんあたりで止まってるんでしょきっと」
伽耶はあぐらをかいて頬杖をついた。
「伽耶ちゃん。お岩さんは江戸時代だから流石に先生たちも口裂け女とかその辺は知ってると思うよぉ」
「わかってるっつの!"ヒヨコ"。いちいち突っ込まなくていーから」
伽耶は、ヒヨコ──"陽生子(ひおこ)"を指差して気だるげに言った。
ヒヨコは、ふちの細い眼鏡の奥の丸い目をぱちくりさせた。
「とにかく。教師も警察もあてにならないってこと。警察ってほんと役立たずだよねー」
「伽耶が警察にお世話になってるからでしょ。逆恨みじゃん。それ」
私はそう思う。
春香が校舎の日影から、伽耶を補導してる時点で警察は役に立ってるよとヤジを飛ばした。
「いやうるせーし。て言うか別にお世話にはなってないから。向こうが勝手に補導してくんの」
それを世間ではお世話になっていると言うのだ。
「でもさーもう行方不明者も三人目でしょ。流石に警察も動いてるっぽいけどねー」
頭にタオルを被った春香がぼおっと校庭の奥を見つめながら呟いて、持ち運べるちっちゃい扇風機が欲しいなどとよく分からないことを言った。
「一人目の失踪者が出た時点で警察は動いてんのよ。けど、こうして二人目、三人目って続いてる。つまり、警察の手に負える事件じゃないってこと」
伽耶は指を三本立てた。
「結構な大事件だけど…ニュースなんかにはなってないよねー」
朝礼台にもたれているヒヨコが不安げに地面を見つめる。
「単なる家出とかそういうのだと思われてるのかもね」
私はそう言ってため息をつく。
単なる家出などではないと分かっているから。
でも、普通はそう思うのだろう。
この世に怪異が存在しないのだと思っている人ならば。
そうは言っても、失踪者が三人も続けば流石におかしいと思うものだと私は感じる。
「このまま放っておくと確実によくないことになる。学校と警察は人間が犯人だって断定してる。誘拐事件じゃないかってね」
「今回こそ退魔師さんには頼れないの?」
ヒヨコの声が朝礼台の下から聞こえた。いつの間にか朝礼台の下の影で涼んでいたのだ。
「まずこの辺にいないもんねぇ…他所から呼ぶのもやり方よく分かんないし。あと…警察がうるさいらしいよ?そういうの」
伽耶が腕を組んだ。
「うるさいって?」
私は、立っているのが辛くなって座り込んだ。地面からもわもわと昇ってくる熱が、暑い。
「警察としては幽霊のせいなんかに出来ないわけじゃん?だから退魔師が捜査に関わったり、事件解決しちゃうのが嫌なんだって。ややこしくて。頭硬いのよやっぱ。それで結局、退魔師を寄せ付けないようにしてるからね」
犯人は幽霊でした。なんて事実を公表し、世間を納得させることは中々に難しいだろうと思う。
だけど、そういうことはあるのだ。
あるのだけれど、世間の大半は、怪異とは交わらない世界に生きているから、怪異のことなど理解できない。
「だから。今回も私たちの出番ってこと」
伽耶はぴょんと朝礼台から飛び降りた。
「結局そうなんのぉー?絶対また私、狙われんじゃんー」
春香が大きなため息を吐いた。
春香は何故かいつも怪異にターゲットにされて酷い目に遭わされるのだ。
「それが選ばれし者の宿命だよ。これは宿命なの。やるしかないわ。"御札"だってまだ残ってるんだから」
「そんな選ばれし者嫌なんだけど。あーもうだめ。暑過ぎる。ねぇどっか別のとこで駄弁ろーよー」
春香が立ち上がって身体を揺らし、駄々をこねる。
「駄弁るんじゃなくてこれ会議だから」
伽耶が春香をびしびしと指差した。
「じゃあ別のとこで会議しよー」
春香は食い下がる。
「はー。そこまで言うなら、しゃあねぇーか」
伽耶はわざとらしくうんと伸びをして歩き出した。
「なにそれ…伽耶も行きたかったんじゃないの」
私が伽耶の後ろ姿に向かって言うと、伽耶はしゃあなしだってともう一度、そこを強調したのだった。
黄昏れどきの、オレンジ色の空に浮かぶ校舎の陰がやけに黒く見えた。
あそこに何かいるのだろうか。
◯
春香が"場所を変えよう"というと、ほとんど確実に駅前の"ジョセフ"というファストフード店かカラオケになる。
今回はファストフード店の方だった。
伽耶もこの店が好きだ。だけど何故か伽耶はそれを悟られたくないのだろう、いつも春香がここに行こうと言い出すのを待っている。
「今回のターゲットは"鏡の中の女"。こいつに間違いないよ」
伽耶が言って、コーラをちゅうと吸い上げた。
鏡の中の女。
美愛たちの通う姫咲学園に存在する七不思議の一つだ。
夕暮れ時や夜中に、校内の姿見の前を通ると遭遇すると云う。
真っ黒い髪に白いカチューシャをした少女が鏡の中に現れ、遭遇した人間を鏡の中に引き摺り込んでしまう。
そんな噂だ。
尤も、私の知る限りは今回の事件が起きるまで姫咲学園で失踪事件などは起きていないはずだから、実際に鏡の奥に引き摺り込まれた人間はいないとは思う。
だが、鏡の中の少女の目撃情報自体はそこその存在する。
また、噂を信じて夕暮れ時以降は、姿見のある通路を避けたりする生徒も多い。
目の前にいる春香がまさにそうだ。
「鏡の中の少女が生徒たちを攫ってるってこと…?なんで今更…?」
昔から言い伝えられている七不思議なのに、何故
いまさら動き出したのか…それが私には分からない。
「怪異が活発に動き出すタイミングなんて分からないものでしょ。そもそも死んだらすぐ怪異になるとも限らないし、色々な条件とかそういうのが影響して今更、動き出したんじゃないの」
伽耶は大きな口を開けてハンバーガーにかぶりついた。それからすぐにコーラをちゅうちゅう飲む。喉に詰まりそうな食べ方でいつも見ていてヒヤヒヤする。
「で。結局誰なのその鏡の中の少女は。正体が分からないと話になんないよ。隊長さん」
春香は何故か偉そうに言って、ポテトを摘んだ。
「それはヒヨコが調べてくれた」
伽耶がヒヨコを指差すと、ヒヨコはシェイクを飲みながらコクコクと頷いた。
「多分…鏡の中の少女は、藤島小百合さんじゃないかなぁ」
ヒヨコは言って、ぺろりと唇を舐めた。
「ふじしま…?」
当然だけど、知らない名前だった。
「昔、姫咲学園にある鏡の前で自殺しちゃったっていう生徒さんだよ」
「そんな事件あったの?知らないんだけど全然」
春香は、まつ毛の長いアーモンド型の二重瞼の目をぱちぱちとさせた。
春香はここに来てから、露骨に元気になっている。
「私、知り合いに姫咲学園の卒業生がいてその人から聞いたことがあったんだよねぇ…。だから、ぼんやりとは知ってた」
ヒヨコは悲しげに眉を上げた。
「だけど、自殺しちゃった生徒さんの名前とか、どこでどんなふうにって云うのは知らなかったんだよね」
「ヒヨコ。そこからどうやって調べたの?」
私はヒヨコを見た。
「地元の新聞の昔の記事だよ。そういうのけっこう図書館にあるから…。知り合いの人から聞いた事件発生日を頼りに調べたら…確かに載ってたんだよね」
ヒヨコは鞄を漁って、中からノートを取り出した。ノートには、新聞の書き写しであろうメモが記されていた。
ヒヨコのメモによると、事件は今から16年前。
姫咲学園の生徒が校内の物置小屋で自死したという。
発見時、遺体は大きな姿見の前で揺れていたらしい。
「小屋って…あの小屋?」
春香は怪訝そうな顔をした。
「そう。校舎裏の立ち入り禁止の"小屋"。ほぼ半壊してるけど…あそこだよ」
伽耶がくいと親指で多分適当な方向を指差した。
「え?あのボロ屋?」
「あそこ…曰く付きなの知ってる?」
伽耶がモグモグと咀嚼しながら続ける。
「まだ近くから眺めただけでちゃんと入って調べてないけど、あそこからは嫌な気配がむんむんする。自死があったんなら…納得だよ」
「自殺ってことはさぁ…相当いろいろ悩んでたってこと?」
春香は、袋から開けたばかりのハンバーガーのバンズをぷにぷにと指で触りながら首を傾げた。
「私が聞いた話では…藤島小百合さんってちょっと浮いた人だったって…あんまりクラスとかにも馴染んでないって言うか…」
「そもそもなんでそんなところで…」
自死に至った経緯はともかく、どうして校内の小屋のそれも姿見の前で死のうと思ったのか。私には理解できなかった。
「わからないけど…せめてもの仕返しなんじゃないの?変な話だけど、学校内で死んだ方が騒ぎにもなるし…それに…"そういうの"って一生、遺るでしょ。現に今も七不思議として恐れられてるし?」
伽耶はどこか悔しげにそう言った。
「じゃあ今回の犯人がその藤島小百合だとしてぇ…その人のこと色々調べなきゃなわけだよねぇ…」
春香が肘を突き、組んだ指の上に顎を置く。
「でもねぇ…なかなかそういう資料がないのよ。当時の卒業アルバムにも藤島小百合は載ってないし。まぁ暗い事件だから学校としては無かったことにしたいのか…それとも遺族の意向なのか…」
「それってどうなのー?ありなの?なんか切なくない?」
春香が顔をくちゃくちゃにして悲しそうにした。
わざとらしい顔だが、こう言う時は多分、本心で切ないと思っているのだ。
確かに切ないとは思う。けれど、どうだろう。
学校生活に思い悩んで自死したとするならば、本人もそんな学校の卒業アルバムに載りたいとは思わないのではないかと私は思う。
「昔からいる姫咲にいる先生なら知ってるかもね」
正確には全く把握していないけれど、いてもおかしくはない。だから私はそう言った。
「なるほどねぇ。じゃあ、校内のジジババ連中をあたってみますかぁ」
「ほんとさぁ伽耶ってオバケに対する面倒は見良いよねぇ」
春香が理解できないと言ったような目で伽耶を見た。
「別にぃ」
伽耶は窓の方を向いて、ストローを咥えた。
私たちのこの活動も、最初は下心から始まった。
最初は、雑誌の心霊写真投稿コーナーの賞金目当てだったのだ。確か言い出したのは春香だったと思う。
でも、私たちが最初に遭遇した怪異との戦いを終えて──私たちの活動は"怪異を救うため"のものに変わった。
最初に私たちが直面した怪異は、この町ではちょっぴり有名だった"人面犬"であった。
噂では、人面犬と遭遇すると死期が近くなるとか、噛まれると人面犬になるとかそういう悍ましい話ばかりが目立っていたが…。
いざ、向き合ってみればそれは噂に過ぎなかった。
人面犬というのは、事故によって同時に亡くなった犬と飼い主の魂が彷徨い続け、互いが互いを探しそしていつしかその彷徨える魂が絡み合い、もつれあって産まれたものだったのだ。
その真実に辿り着くまでにはかなり苦労した。
正直、死んでいてもおかしく無かった場面もあった。
それでも最後は、もつれあう魂の権化である人面犬はほぐれ──二つの魂は真の再会を果たした…と思っている。
人面犬の真実を知った時、少し前に飼い犬を病で亡くしたばかりの春香はわんわん泣いていたし、伽耶はずっと空を見上げていた。
怪異も元は生きている者だったのだ。そう思うと、自然と怪異を恐れる気持ちはなくなった。
正直、少しばかりは怖い気持ちもあるけれど。
この町には他にもいくつか怪異な噂が存在する。その一つ一つに人面犬のような悲劇があるならば…それを解決する力を持つ自分たちが事件解決に乗り出すべきだと私たちは思っている。
人面犬の一件がその思いを強くさせた。
とはいえ、私たちに特別な力はない。
あるのは、偶然、廃神社で見つけた箱入りの御札だけ。
この御札がとにかく強力で、怪異に使ったところかなり有効だったので以降、私たちはその御札を頼りにしている。
ただ単に御札を使えば良いというものでもない。
御札によって怪異を浄化させるには、怪異のことをよく知らねばならないようなのだ。
残りの御札はもう少なくなっている。
それでも、怪異な噂は後を絶たない。
怪異な事件が町で頻発していても、困る人というのはかなり少数である。
そもそも、怪異と遭遇する人間など少ないのだ。
だけど、怪異自体は救いを求めているのだと私たちは考えている。
人面犬や、その次に遭遇した怪異たちもそうであったから。
怪異と遭遇するたび、私たちと怪異たちとの距離は縮まっている気がする。
より、深いところへ私たちは足を踏み入れている気がする。
私は、少し嫌な予感もするのだ。
御札も尽き掛けている。
それにいつか、必ず引き返さねばならない地点が出てくると思う。
その引き際が一体いつ現れるのか。
それとも、実はもう──。何度もそう考えたけれど、考えないようにした。少なくとも、御札があるうちは。
そしてここに来て──私たちは自分たちの通う学校に潜む怪異と向き合うことになった。
ここが正念場。ここがきっと引き際なのだ。そんな気がする。
引き際でなかったとしたら、それは多分、終着点だ。旅の終わりだ。恐ろしくも切ない怪異たちの浄化活動の終わり。
その後のことは分からない。
力を持たない私たちに出来ることは無くなるだろう。
「あーそろそろ彼氏欲しい」
春香がテーブルに突っ伏すようにぐでんと伸びる。
「春香…この前、別れたばっかりじゃん」
春香はつい一週間くらい前に三日ばかり付き合った男子と別れた。その時もたっぷりと愚痴を聞かされた。
「あれはアイツが悪いんじゃん。今度こそは純度の高い恋愛がしたいのよ」
「それ何回目なの…」
それはもう聞き飽きた。
外はすっかり暗くなっていた。