私と彼との改変生活 その1
🕑 Added 2023-08-20 07:58:34 +0000 UTC
『私と彼との改変生活』
突拍子もない話だが大きく分けて二点、俺の身にまつわる現状で語らなければいけないことがある。
まずひとつ目。藍山高校2年A組には、すなわち俺のクラスメイトには"他人の常識を捻じ曲げる"超自然的な力を持つ男子生徒がいる。
と、今の一言でその実情を瞬時に理解できた人間はおそらく存在しないだろう。仮に理解してくれたとしても、次には「こいつは頭がおかしいんじゃないか」と俺に怪訝な面持ちを向けてくるに違いない。
常識とはなにか。コミュニティ内の誰しもがその是非を下すまでもなく当然にそうだと信じて疑わない物事の捉え方。そこに異が唱えられることなどあり得ないしあってはならない。そんな普遍的な判断基準のことだ。少なくとも俺はそのように解釈している。
例えば俺たち日本人であれば、自宅の玄関では靴を脱ぐ。衣服を身に纏う。目上の人には敬語を使う。朝と晩は歯を磨く。人を殺してはいけないなんてのも常識のひとつといえるだろう。
そういう半ば感覚の一種として浸透する当たり前が常識で、そしてあいつは、その常識をこともなげに覆してしまえるのだ。
最初は『女子は自分の掃除当番を当然に肩代わりする』程度の軽い捏造だった。いや、その時点で俺は度肝を抜かれたし、なんら接点のなかったはずの女子たちが日々あいつの我儘に文句ひとつなく従う様に悪寒すら走ったものだが。
やがてそれは日を追うごとにエスカレートしていき、ある日には『トイレに行く際には自分を同行させる』、また別の日には『女子は登校したらスカートをめくり自分にパンツを確認させる』なんて破廉恥な常識を植え込んでいたこともあった。
無論、俺からしたらそれらは非常識極まりないのだが、けれど女子たちはみな一様にそれを当たり前のことと信じて疑わず、顔色ひとつ変えずにその非常識に従った行動を取り続けていた。
そんなまるで人智を超越でもしたかのようなあいつの異能を、俺は『常識改変』と呼ぶことにした。
もっとも、常識改変は誰しもを支配できる望外な超現象ではないようで、いくつか制限があるらしいことを発現してから現在に至るこの数ヶ月で確認している。
まず、書き換えられる常識の数はそれほど多くないということ。改変の重ね掛けは1番多かったときでも3点のみだった。それが能力の限界からくるものなのかは断定できないが、現状では効果を複雑にされることもないため、改変内容の把握は比較的容易なものに収まっている。
次に、この力は男子には無効だ。そのため俺はこれまでの間、第三者としてひたすらあいつを観察し、その効力や性質を検討し続けることができた。
最後。藍山高校2年A組以外の者に、常識改変は及ばない。これは経験則になるが、クラスメイト以外の人間が常識を改変されている姿は一度も確認していない。
もっとも、では部外者がその改変を観測できるかといえば、どうやらそうでもないらしく、あいつの能力の影響を、クラスメイトの男子以外が不審だと認識することはできないらしい。例えば2年A組ではない俺の母親はその能力の対象ではないが、かといってクラスの女子が改変された常識に従っている様子を見て、それがどれだけ普通と乖離した異常な光景であったとしても違和感を覚えることはないのだ。
つまるところ、俺が例えば今から警察に泣きついて、あいつの悪事を白日の元に晒したところで事態は一向に進展せず、それどころか俺が警官に白い目で見られ、さらには俺こと西本秋人という人間に常識改変が及んでいないという能力の欠点をあいつが発見してしまう危険すらある。
あいつに対する有効打がない以上は面と向かっての接触は避け、下手な藪蛇は突くべきではないという俺の考えでは、現状様子見がベターということになる。
孤立無援という点もその判断に拍車を掛けた。俺と同じ立場の生徒がいてくれたら上手いこと協力し合えたかもしれないが、あいにくうちのクラスには俺とあいつ以外の男子生徒がいない。俺以外の全員があいつの術中にある以上、積極的に協力を仰ぐことは事の露見に繋がりかねず、そのため状況の打開も難しい。
長々と説明したが、要するに改変は数パターンに限り、その対象はクラスの女子で、それを認識できるのは俺だけ。ただし闇雲には動けないためあいつの悪事には現状知らんぷりすることが多いということだ。
なんとも情けない話だし、女子のみんながその尊厳を蹂躙され続けている事実を目の当たりにして心も痛むが、俺にはリスクを冒せず、消極的にならざるを得ない理由がある。
1年の末に交際することになった俺の彼女、宮下智美。
宮下も俺やあいつと同じ2年A組で、女子であるため当然日頃から常識改変の影響を受け続けている。俺はそんな彼女に事情を打ち明け、不自然にならない限りで極力、あいつの毒牙から彼女を遠ざけるよう配慮している。
宮下だけは守り抜きたい。その一心で多少の犠牲には目を瞑ると決めたのだ。
と、あいつの常識改変とその実情に関してはこの辺りで説明を打ち切ろうと思う。
この時点で相当腹一杯な情報量になったことだろう。話を整理していて、俺自身も未だに頭がこんがらがることがあるくらいだ。
が、ここから話す内容もまた、ひとつ目の話に負けず劣らずとんでもないものなのだ。あれこれ考えることを思わず放棄したくなってしまうほどの出来事で、現在進行形で俺は苦難に苛まれている。
俺の身にまつわる現象ふたつめ目。それは今朝、目が覚めたときに起きていた。
男子高校生をしていたはずの俺が、女子になっていた。
目が覚めて、体の節々に違和感を覚えた。寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こしてやると、胸部が寝巻きを不自然に大きく盛り上げていた。起き上がりに合わせてぽよんと揺れたふたつの膨らみは、一見するに女性の乳房そのもので、それから身に纏っていた衣服が見慣れない女物のキャミソールだったこともあり、ひどく困惑しながらもとりあえずベッドから立ち上がった。
そして唖然とした。
間取りや家具の配置こそ住み慣れた自分の部屋で間違いなかったが、その様相は昨日までとはまるで様変わりしていた。一言で言って、それは女子の部屋だった。
寒色だったはずのカーテンやベッドシーツは暖かみのある色合いへと染め上げられていて。
机の上には華やかな文房具と、整頓された参考書、それから一冊、見るからに垢抜けた女の子が表紙を飾る女性向けらしいファッション雑誌が積まれている。
写真立てには1枚の写真。セーラー服の女の子がふたり。ひとりは今より少し幼く見えるが俺の彼女である宮下で、もうひとりはよく分からない。分からないが、とてつもなく美少女で、それでいて馴染みのあるような、誰かの面影を思わせる。ふたりは親友のような距離感で、屈託のない笑顔からとても仲がいいのだと窺えた。背景から察するに、きっと中学の修学旅行で行った京都の記念写真なのだろう。そこに、俺の姿はなかった。
本棚に並んでいたはずの少年誌や趣味のバスケにちなんだ雑誌は、"恋愛特集"や"お化粧入門"などという見出しで組まれた学生にしては背伸びしたような、それでいて女子の好みそうな雑誌に置き換わってしまっている。
ドアに下がる制服は紺色のブレザー、胸元には赤いリボンが引っ掛けられていて、さらにチェック模様のプリーツスカートが並ぶ。
見間違えることはない。自分が通う学校指定の制服で、ただし俺が日頃着こなしていたものではなく、それは女子のものに相違なかった。
恐る恐るクローゼットを開いてみると、やはり昨日までとは一新されていて、ところどころに持ち合わせていたユニセックスなものこそ散見されるが、大部分はレディースの衣服でひしめいていた。
「……」
目が覚めたら女子の部屋というのは、なにはともあれ異世界に飛ばされる昨今のフィクション作品に比べたら幾分マシなのではないだろうか。
と、そんな悠長なことを考えていられるほど、俺は鈍感な人間ではない。
クローゼットの脇に置かれた昨日までは存在しなかったはずの姿見、俺がその前に立つと、ひとりの女の子が鏡の向こうに姿を現した。
肩を通り越す長い黒髪は光沢に包まれながら体躯に沿ってすとんと枝垂れて、身じろぎひとつで繊細に揺れ動き濡れ羽色の煌めきを柔らかく振りまく。
さらりと視界を遮った前髪を条件反射で掻き分けてから、遅れてそれが自分の前髪らしからぬ長さと質感で、けれど明らかに自分の頭部から流れてきた前髪であることに気づく。覆い隠されていた品よく弓形の弧を描いた細い眉が顔を覗かせ、それはやがて逆八の字を象り出した。
ぱっちりとした珠のような両目はその端正な小顔に分不相応な大きさをしていて、けれどそれぞれ可愛らしさ、美しさという方向性の異なったちぐはぐな魅力はお互いの女性らしさをなんら損ねることなく、むしろその一点をこの上なく際立たせ、絶世という二文字を連想させてくる。
加えてふたつの黒瞳をよく萌え立った美しい睫毛が彩ることで、見る者を惹きつけて止まない魅惑の眼差しが出来上がる。
慎ましく、それでいてよく整った鼻筋。色白の柔肌に浮く桜色の唇は瑞々しさを湛えて一際の存在感を放つ。
それは微に入り細を穿った陶芸品のようだった。
テレビの向こうで輝くアイドルや女優に勝るとも劣らない女子の顔だった。
そんな彼女が、鏡の向こうで俺の心情を余すことなく、一片の齟齬もなくそのまま顔に表している。その意味から目を背けるように、俺は視線をその顔から落とした。けれど俺の目は依然、彼女の体を追い続けることになる。
男子のそれと比べて一回り細く、喉仏らしい凹凸の見当たらない首。
キャミソールの肩紐が掛けられた露出する撫で肩。繋がる細腕に角張りはなく、脂肪を多分に孕ませたそれに目立つほどの筋肉はない。ただ、きめ細やかな質感と染みひとつない手入れの行き届いた美肌が、自分の持つべきものとはまるで異なる存在であることを如実に訴えかけてくる。
手も指先も小さく細く、力仕事の経験をまったく思わせない貧相な見た目をしていて、それでいて嫋やかな印象を抱かせる。
胸部を内から盛り上げる双丘はその華奢な身に反して大きく膨れて自己主張に事欠かない。そっと指先でその輪郭をなぞってやれば、触り、そして触られたという刺激が…それが自らの一部なのだという確固たる信号が、その乳房と指先の双方から脳へと伝達される。
服越しからも判然とした女体として抜群のプロポーションを一層際立たせる括れた腰回り。
ホットパンツに包まれた臀部は丸みを帯びて相応に大きく、男子のそれとは明らかに違う存在意義を宿されてしまったかのように見える。
一本線を引いたような凹凸の薄い両脚は、日頃の鍛錬などなかったかのようで、それでいて美貌という観点では程よく引き締まり。生え広がっていたはずの無駄毛を一切認めず、その透明感ある色白の素肌を惜しげなく披露するそれらには女性としての魅力という新たな価値が湛えられていた。
「……」
思い切り頬を抓る。痛い。鏡の向こうの彼女も痛そうに顔をしかめている。
「……」
全部が全部、俺にとって受け入れ難い現実で。そしてそれはもはや議論の余地なんてなく、俺の身に起きた現象に関してのこの予想が覆ることはほとんどありえないことだと直感で理解していた。
いつもであれば寝起きにそり立つことの多い一物が、未だにその鳴りを潜め続けているという事実が、なによりそれを裏付けている。
だからこそ俺は躊躇った。それがないことを認めてしまえば、この奇天烈な推測が確定してしまう。
「……それでも、確認しないと」
思わず呟いたその独り言はいかにも女子らしいソプラノをしていて、鈴の音のように室内によく響く、流麗で聞き心地のいいものだった。
形のいい眉を弱々しく歪ませて、不安げな顔を見せる鏡の向こうの少女。そんな彼女の右手が、自らの下半身へと向かった。
履き慣れないホットパンツ、そして女物のショーツに、俺の手が潜り込んでいく。あるべきものの所在に到達して、それを掴もうとする。その存在を確かめようとする。
が、
「うそ、だろ……」
その茂みに俺と少女の求めたものは存在しなかった。思わず漏れ出た震え声は、たしかに俺の放った言葉で、やはり少女のものだった。
机の端に置かれた一冊の手帳。見覚えこそあるが普段はあまり手に取らない無用の携行品。
それを今、藁にもすがる思いで手繰り寄せ、その表面を覗き込めば、太文字に『学生証』と明記されていて、そして当然のようにありうべからざる人物の存在が証明されていた。
『西本 小春』
俺とは生年月日や名字、住所も同じ。俺の母親によく似ていて、俺自身の面影もある。
写真に撮られた柔らかく微笑む彼女とは性別、それから名前こそ異なる。それでも、この後に及んでこの仮説を否定することはもはや単なる現実逃避にほかならなかった。
俺、西本秋人は、女子になった。
そしてこの世界も、元から俺が女子であるように改変されてしまっていた。
これが、ふたつ目の現状だ。
これもきっとあいつの…"中井哲也"の仕業に違いないだろう。
×××
やはり俺はこの世界では生まれた時から女子だったことになっていた。
「高校生にもなって自分が女だって分からないようなら、鏡を見るか顔を洗って目を覚ましてきなよ姉貴」
弟に西本小春は自宅に不法侵入した謎の女子高生という認識はないらしく、とりあえず警察沙汰にはならずに済んだ。とはいえ姉として認識されているこの現実を突きつけられて、俺は未だ若干の動揺を隠せないでいた。
長男次男の関係が長女長男に変わったためか、弟にも少しよそよそしさというか、距離を感じる気がする。今は気にしても仕方のないことだと割り切るしかなかった。
食卓に座り、ひとまず朝食を済ませにかかる。
「はい、小春の分」
「……え?これだけ?」
「?お腹空いてるの?増やしましょうか?」
「……いや、とりあえずこれで大丈夫」
「そう?あなた普段は少食だから、おかわりするなら言ってね」
一皿に盛られたサラダと食パンが1枚。いつもの俺ならまず間違いなく物足りなくなる量だ。
鬱陶しく垂れ下がってくる伸びた横髪を耳に掛けながら、俺は食事の手を動かす。咀嚼の最中にふと下がった目線の先では並の女性に留まらない大きな乳房が自らの胸部に張りついていて、嫌でも自分が女子なんだと自覚させられて煩わしいことこの上ない。
「どう?おかわりする?」
「……いや、いい。ごちそうさま」
出された分を完食しただけで、もうこれ以上胃になにか詰め込むのは難しく感じた。女の子の身体は一回り小さい。当然食べる量だって少ない。それが自分に当てはまってしまうことに、俺は少し悔しさを覚えた。
「おっと」
「あ、ごめんお父さん」
洗面所に向かうと、ちょうどそこから出てきたお父さんとぶつかりかけた。
「いやこっちこそ。急いでてな、もう出る」
「……」
「?小春?」
「へ?あ、いや……い、いってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
俺の挙動不審を訝しむお父さんだったが、時間がないらしく急ぎ足で家を出ていった。
(お父さんの加齢臭……いつもより、キツく感じたな)
この身体になって匂いに敏感になったのかもしれない。なるほど、相当数の女子が父親のことを生理的に受け付けられないらしいが、これはたしかにそうなってしまうのも無理ないように思う。今のわずかな一時にさえ、男だった時には感じたことのなかった生理的な嫌悪感が俺に芽生えてしまっていた。
(……って、匂いがなんだよ!俺は男なんだから、そういうのはないはずだろ!)
おかしくなった自分を誤魔化すように乱暴な歯磨きを始める。"小春の"歯ブラシを使うことへの居心地悪さも、その勢いに拍車を掛けていたかもしれない。
「……髪、邪魔だな」
引き出しから普段ならまず手に取ることのない物を出して、それを頭に括り付けた。
ヘアバンドを洗顔に用いるなんて初めてのことだ……まるで自分のルーチンが"小春に"侵食されでもしているみたいで落ち着かない。
「……ふぅ」
やるべきことを手早く済ませて、俺はそそくさと自室に戻った。
部屋に入りドアを閉め、一度衣服を脱ぎ捨てる。キャミソールの内側が乳房の先端を擦り一瞬ぞわりとしたが、今はなるべく意識しないようにする。
姿見には、ショーツのみを履いただけの女の子が映る。
「あ……」
西本小春は美少女だ。そんな彼女がほとんど裸体を曝け出し、無抵抗に俺という男子の視線に晒され続けている。
「……っ」
俺もこれで一応健全な男子高校生。身に振りかかった事態を思えば悠長な考えは間抜けだが、年頃な女子の裸体を見て見ぬ振りできるほど、控えめな性欲はしていない。
ごくりと、唾を飲み込む音がした。喉をわずかに揺れ動かした鏡の彼女のその顔は羞恥と期待に紅く染まって、それが年相応のあどけなさと不相応な艶めかしさをより一層際立たせていた。
(さ、触ってみても、いいよな……?)
そして恐る恐る、自らの秘部に手を伸ばそうとしてーー
「小春ー、智美ちゃんが来てるわよー」
「ぅひゃあっ!?」
突然声を掛けられて、あまりにも素っ頓狂な反応をしてしまった。
「どうぞ上がってー」
「おじゃまします」
玄関口でのやりとりが2階にも届いてくる。
宮下の来訪。おかしなことをしている場合じゃなくなってしまった。
(変な気を起こしたこと、気取られないようにしないと……!)
とにかく着替えを済ませるべきだ。そう考えてまずブラジャーを遠慮なく胸へと押し当てた。ふにゅりと柔らかく歪んだ胸の感触は、今は頭の片隅に追いやる。たどたどしい手つきながらもなんとか背中のホックをパチリと止めてやれば、締め付けられるというより、優しく包み込まれているような感覚が生まれた。形もよくフィットしていて、不思議と湧き出る安心感が心地いい。
(俺、男なのにブラジャーなんて……けど、この身体にしっくりくる……か、考えるなっ!とにかく今は着替えを進めるんだ!)
ブラウスに袖を通し、左右違いのボタン掛けにあたふたしながらも留め終えて、壁に掛かったスカートを引ったくるように掴んだ。
ブラジャー同様、スカートを履くことに男として躊躇いがなかったといえば嘘になるが、宮下に変な格好を見せていらぬ嫌疑を掛けられるわけにはいかない。
「たしかこうやって……これでいい、はずだよな?」
脇のファスナーを引き上げる。女子はスカートにベルトを使わないとは知っていたが、なるほど膨らんだ臀部がスカートの腰元に引っ掛かる。女子の体型であればたしかにずり落ちる心配はなさそうだ。
「……」
膝丈にも届かない頼りなげな布のカーテン。股関節までも容赦なく外気に晒す筒状のそれは隙間風にふわり宙を舞い、着つけた自分を可憐に見せる。
「く、くそぅ……」
これでもう俺は誰がどう見ても女子高生そのもの。この姿こそ女子であることの証明に他ならないのだという視覚的な訴えが、姿見からひしひしと伝わってくるようだった。
「あとは……」
俺の両脚をまるで覆い隠さないプリーツスカートに代わって、スラックスを履く男子のものとは違って一回り長く伸ばされた紺のハイソックスは一見着用が窮屈そうに見えたが、女子のものになった今の細脚は大して不自由なくするりと包み込まれていった。
「秋人くん、入るよー?」
「あ、ああ。いいぞ?」
大慌てで着替えを済ませたことで汗が滲んできてしまった。直前のやましさもあって心臓も騒がしい。が、そんな内心をなるべく表に出さないよう、努めて平静を保った声音を心掛け、入室を許可した。
ガチャリと、ドアが開かれる。そこから顔を覗かせたのは、小柄でショートボブな女子高生。俺と同じ制服に身を包んだ少女、宮下智美だ。
「……」
「……な、なんだ?」
「……いやぁ、なんだじゃないでしょ」
宮下が胡乱げな視線を向けてくる。
「私の素敵な彼氏くんは、一体全体なんだって、女装趣味に手を染めちゃったのかな?」
「じょ、女装趣味言うなっ!!」
フリーダムな感性を持つ女の子だとは知っていたが、まさかこの事態を前にしてそういう捉え方をされるとは思ってもみなかった。
一言も無しに家に来るなとか、女子化して大変な彼氏に対する第一声がそれかとか、そういう突っ込みは置いといて、俺は事前に連絡していたはずの説明を、また一から口頭で始めることになった。
今にして思えば、これも場を和らげるための彼女なりの気遣いだったのかもしれないが。
×××
「それにしても、随分と可愛い声になったね」
「これでも以前の声に似せるようにって低めにして話してるつもりだ」
「へえ、そうなの。じゃあ……」
「ゃんっ……!?」
「お、思った以上に乙女チックな声と反応するじゃん。こっちがびっくりしちゃった……」
「と、突然くすぐってくるなよぉ!俺で遊んでる場合じゃないんだってばっ!」
早い話、俺は西本小春として通学しようと考えていた。
常識改変の元凶である中井が今回俺を女子へと変えたのであれば、これまで通り藪蛇は突かず、様子見に徹するべきだと判断したためだ。早ければあと半年、クラス分けで同じになっても1年半の我慢で中井の改変とはお別れになる。ゴールが見えてるならやはり迂闊に手を出さないほうが賢いはず……だから断じて、俺が女装趣味に目覚めたとかいうわけじゃない。
という内容をざっくりと説明してやったところ、宮下が茶々を入れてきたのだ。まったく、俺の彼女ときたらこんな状況でも図太くて、呆れるやら安心するやら。
「でも、あのなんだかんだで男前の細マッチョって感じだった秋人くんがこんなになるなんてねぇ」
「俺だって驚いてる。あと、なんだかんだは余計だぞ?」
「あんなに短かった髪の毛が、今じゃ私のなんて比にならないレベルでボリューミーになってるし……ていうかすごくサラサラだね。なにこの触り心地、女の子なら垂涎ものなんだけど。トリートメントなに使ってるの?」
「ろくなの使ったことないぞ」
「正真正銘無添加無加工の地毛?羨ましいなぁ……え、待って。なんでおっぱいそんなに大きいの?」
「お母さんの遺伝かもな。今の俺、お母さん似だし……おい、今その話はする必要あるか?」
「前は目つきとか顔つきとか、お父さんによく似てたよね……まったく、純女子に喧嘩売ってるサイズだよこれ。F?G?元男の子にはもったいない。しかも出るところは出て引っ込むところは引っ込んだスタイルのよさ。おまけに筋骨隆々って感じだった逞しい腕も脚もザ・女子みたいになっちゃって、それもかなりの高水準……だけど」
「だけど?」
「1番は、その顔だよ!」
「か、顔?」
「え、なにそのキョトンって感じの表情!可愛い!」
「ちょちょっ、落ち着け!」
「落ち着いてなんていられないでしょ!もうね、パーツと比率が完璧なんだよ!元の素材がよかったもんねこんなの100人が100人すれ違って振り返るレベル!文字通りアイドル顔負けじゃん!ああもう、私の彼氏が可愛い過ぎるっ!!ぎゅーってしていい!?」
「平時なら吝かじゃないが、とりあえず話を戻させてくれっ!!」
と、ひととおり宮下の暴走を受け流して、ようやく彼女はいくらか落ち着きを取り戻してくれた。
「うーん……秋人くんの方針ももっともなんだけど、今までの常識改変とは違ってその、秋人くん命名の『現実改変』ってやつはさ、随分ダイナミックなことしてきてるし、もうこっちから正面切って問い詰めていっちゃったほうがよくない?」
「そんなことしてみろ。前にも説明したが、男を女子に変えれるような異次元レベルの化け物と勝ち目のないまま孤立無援で面と向かってやりあってじゃ、あまりに無謀すぎる」
「それは、その通りなんだけどさ……けど、うー……」
「……」
自惚れでなければ、俺が宮下を大事に想うように、宮下も俺のことを大事に想っているのだ。
先ほどから気丈に振る舞ってはいるが、結局俺の身に振りかかった一大事に、彼女はいてもたってもいられないのだろう。逸る気持ちも無理ないことだ。
「俺が改変能力をしっかり把握できていて、中井はそのことを知らない。要するにあいつは俺っていう敵が存在することに気づけていないんだ。このアドバンテージは、勝算の確実なところで使うべき。分かるだろ?」
「……うん」
宮下は感情的な人間じゃない。だから俺の考えをちゃんと理解してくれて、最後には苦笑しながら頷いた。
「それにしても、これが女の子版秋人くんかぁ」
俺の髪の毛を梳きながら、宮下はそう呟いた。
「なんだよ?さっきのくだりまだやるのかよ」
「いやぁ、嫉妬しちゃいますなぁ」
「宮下のほうが可愛いよ」
「あら、素敵なお世辞をありがとう。お礼に今からうんと気合の入ったメイクアップを施して、そんなこと二度と言えない最強の女子高生
にしてあげるよ」
「え?今の不正解だったか?……ちょ、化粧品とか一応俺のなんだぞ?人の物を勝手にいじるなよ。なあ、俺って男なんだぞ?化粧とか絶対に嫌だからな!?」
「ま、女子として生まれてきたことが、不正解だったってことで♪」
ご機嫌なのか不機嫌なのか分からない反応を見せてくる宮下。俺は盛大なため息をついて、
「俺は男だっつーの」
可能な限り顔をしかめて、そう返してやるのだった。
×××
「よし。これで身支度は終わりだな」
寝癖を直して、ヘアブラシでよく梳かしてやれば、もう身嗜みに差し障りのある箇所はひとつも見当たらなくなっていた。
男からしたら長い髪の毛だが、特に結んだりはしなかった。宮下が編み込みたがったが、さすがにそこまで女子として気合いを入れた身なりで通学してしまうと、一応彼氏である俺の尊厳が保たなくなってしまいそうで、いい加減お断りさせていただくことにした。
前髪だけはどうしても鬱陶しかったので、ヘアピンを使用した。なんだかいかにも女子らしく見えて気が乗らなかったが、そんなことを言ったら女子用制服に身を包む今の自分もどうにもならないので、これは今さらだと割り切ることにした。
そして胸元に赤いリボンを結んでやれば、容姿端麗な完璧美少女『西本小春』の出来上がりだ。
「やっぱり、記録の類も全滅だね」
俺の身支度を手伝いながら(手伝いにしては俺の何倍も忙しなく動き回っていたが)、宮下は片手間に俺の身に起きた改変具合を確認していた。
俺が女子になり、世界もそのように作り変えられたこの事象を『現実改変』と呼ぶことにした。
その現実改変の効果はというと、何かの用事で取得してから不要になったらしい戸籍の写しの余りを見れば、俺の続柄の欄がしっかり長女になっていたり、家族のアルバムには着物を着て七五三に参列する俺の姿があったりと、俺にまつわるすべてに及んでいた。
「ニコニコしながら赤いランドセル背負ってる入学式の小さい秋人くんがかわいいすぎる」
「おい、撮るなよ?……撮るなって言っただろ、消しなさい」
中学校の卒業アルバム。セーラー服を着てはにかむ、校門前で母親と並んだ入学当初の自分。さらには大して交流がなかったはずの女子生徒と屈託なく談笑する様子や、性徴を迎えて身体の作りが完全に女子のそれになっていく自分の姿まで見て取れる。
携帯電話に登録されている友達も今ではほとんどが女子で埋め尽くされていて、撮影された写真を覗いてみると、やはり西本小春としての思い出の記録が表示された。
ところどころに以前と変わらないイベントのワンシーンこそ見受けられるものの、クラスメイトたちと遊びに出かけた海での集合写真では憚ることなく女子の水着姿を晒して楽しそうに微笑む自分がいて、花火大会では嬉しそうに浴衣を見せびらかす自分がいて、現実改変による置換は一切の漏れなく行われているのだという結論に至った。
「けど、だとしたら私の記憶が以前のままな理由だけ、ちょっと不自然になるよね」
不安げに呟く宮下。
彼女を通じてクラスメイトたちにも確認したのだが、第三者の認識としてもやはり西本小春という女子生徒が高校に在学していることになっていた。
となると、その中でなぜか俺と宮下の記憶にだけ改変が及ばず、"西本秋人"という存在を覚え続けていられるのか。これが中井の意図したものなのか、はたまた能力の欠陥みたいなものなのか。
「……」
「……」
結局、これも判断材料に乏しい。
「……まあ、現状の確認はこのくらいにして、そろそろ学校に行こうぜ。俺の家からだと20分掛かる」
俺は努めて明るい口調で、宮下に出発を促した。
「……はあ。たしかに、ここにいたってなんにもならないしね」
保留という状態が気持ち悪いのか不服そうな表情を見せる宮下だが、一応俺の意見に頷いてくれた。
「それより口調、気をつけてよ?」
「あ、間違えた。わたしわたし」
「まったく。自分で擬態するって言い出したんだからね?」
いつもと変わらない通学路。ただ、ところどころに変化を感じる。
それは並んで歩く宮下と歩幅を合わせる必要がなくなったことだったり、身長が下がって見えていたはずのブロック塀の向こうが見えなくなってしまっていたり、あと、すれ違う男の人から妙に目線を感じたり。
「着いた」
校門の前に立ち、どちらともなくそう呟いた。
「それじゃあいつも通り、常識が改変されてたらお…わたしがさりげなくサポートするから、その辺は安心してくれ」
「うん、頼りにしてる。私も小春の現実改変について、それとなく探ってみるから」
こうして俺の女子高生としての学園生活がスタートした。
×××
「小春、おはよー」
「あ、小春ちゃん。化学室一緒に行こ」
「なんか今日おめかし気合い入ってんね……も、もしかして告白、とか?あたしらの小春にスキャンダルじゃん!」
「はーあぁ……」
昼休み。逃げるように教室を抜け出して校舎裏で宮下と合流する。
「つっかれたぁ……」
開口一番。俺は盛大なため息とともに愚痴をこぼした。
「おつかれさま。頑張ってたね」
「分かってたつもりだけど、やっぱ男子と女子とじゃ会話のネタとかノリってけっこう違うなぁ」
カルチャーギャップとでも言い表せばいいのだろうか。女子の一団に溶け込み続けるのは男子高校生として精神的にけっこうキツい。ましてや、相手は俺のことを自分たちと同じ女子高生だと見做している。まだ半日とはいえボロを出さずにいられた自分をもう褒めちぎってやりたいくらいだ。
軽い雑談を挟みながら、俺たちは昼食をつまんでいく。
「常識改変は今のところ大丈夫そう?」
「ああ。中井のやつ、今日はやけにおとなしい」
「そっか。私も中井くんをこっそり観察してみたけど、現実改変を意識したような素振りは特になかったかな」
「今日になって向こうから特別動きがあったりもしなかったし、膠着状態だな。ま、すぐにどうこうできるとも思ってなかったけどさ」
手元の弁当箱はいつも使っていた物より一回り小さい。それでも中身を半分平らげた辺りで満腹感が湧いてきた。
「にしても……わたしに女子の集団に混ざる経験とかあれば、教室でももう少しうまくやれたんだろうなぁ」
「遠目に眺めたりそれとなく会話を盗み聞きしてみたけど、問題なさそうに見えたよ。女の子的にお行儀が悪いかなってところはちょっとだけあったけどね……あれ?」
会話の途中、不意に宮下が表情を曇らせた。
「女子の集団に、混ざる経験……?」
「ん?何の話だ?」
「あ、いや。さっきの秋人くんの言葉が少し気になってさ」
「別に、女子が苦手とかってわけじゃないぞ。女子複数人に囲まれて過ごすのに慣れるほど、わたしはモテてはこなかったってだけで」
「けど、それっておかしくない?」
「『私の理想の彼氏が世間でモテないだなんてみんな見る目がなさすぎる』って?」
「そ、そんなんじゃないから。あと、自分で自分のこと理想とか言っちゃうのイタいよ?」
呆れたような宮下のジト目が突き刺さる。じょ、冗談を真に受けないでほしい……。
俺はひとつ咳払いをして、宮下に話の続きを促した。
「で、つまりはどういうことなんだ」
「うん。だってさ、秋人くんは自分と中井くん以外の全員が女子な2年A組で半年を過ごしてきたでしょ?」
「……ああ、そういえば」
「気づいた?」
「……え?あれ?たしかになんで俺、こんな環境に長くいて、女子に囲まれ慣れてないなんて……」
教室内にいたらほとんど全員が女子という毎日だった。それが未だに慣れていないとなれば、少し不自然ではないか?
「当然、異性から同性になってみんなの距離感が変わったり、"小春"として振る舞わないといけないっていう面倒だってあるわけだけど、不慣れかどうかって観点だけなら、秋人くんのその感覚は少しおかしいんじゃ……」
「あ」
しかし宮下の違和感、その考察を待たずして、俺は彼女の言葉を遮ることになる。
「待った。宮下」
「え?なに?」
「ちょっと、その話は後だ」
「ま、まあ別にいいけど……どうかしたの?」
「トイレ、ヤバい」
生理現象に残された猶予がそうないことを、下腹部が訴えかけてきたからだ。
「え、たいへん。とりあえず教室行く?」
「ああ。中井は昼休みに出歩いたりしないからな」
棟内に戻り、早足に教室へと向かう。目的のトイレを横切ったが、今この場で立ち入るわけにはいかない。"女子はトイレを利用する際、中井に同行してもらわなければならない"からだ。
「中井くん、いる?」
教室のドアを開け、やつの存在を確かめる。ちょうど日直である委員長を半裸にさせて、その胸を揉んでいるところだった。
委員長にはちゃんとした彼氏がいるから、本来中井とそういう行為をすることは褒められたことではない。しかし"日直は中井に性奉仕しなければならない"ので、特に問題はない。
「中井…くん。わたし、お手洗いに」
「ああ、わかったよ。行こうか」
「その、ごめんな。委員長との行為中に」
「構わないよ。今日はもう授業中に散々遊ばせてもらったからね」
そういえば化学の時間に教室の後ろから喘ぎ声のような音が響いていた。あれはそういうことだったのだろう。
「じゃあ、よろしくお願いします」
中井にそう言ってから、俺は女子トイレの扉を開いた。
「……」
女子トイレ。そこは本来、男の俺が入っていい場所ではない。当然、罪悪感やら羞恥心やらが込み上げてくる。ただ、この姿で男子トイレには入れないので、今回ばかりは仕方ない。
個室には当然中井も同行する。そんな窮屈な空間で、俺はなんとか身じろぎしながらスカートとショーツを脱ぎおろす。
「……んっ」
女子の小便は男のそれとは違って、溜め込んだものを決壊させるような感じが近い。勢いづいた排泄物が水面に強く当たり、大きな水音が響いた。
「ふぅ」
「終わった?」
「ああ、ありがとう」
トイレットペーパーで水滴をしっかり拭き取る。異性の局部を見て、そして触れてしまうことに俺は極力意識を割かないようにしたが、
「おっと」
中井が姿勢を崩して、便器に座る俺にぶつかった。
「んぅっ……!」
体勢がズレて、俺の指が強く局部と接触した。経験したことのない未知の刺激に、俺の身体はびくりと震え、艶かしい声が漏れ出てしまった。
「ごめんごめん」
「き、気をつけてくれ……」
その後はたまたま別クラスの女子と鉢合わせたが、「あんたなんで男なのに女子トイレに入ってるのよ!?」なんて言われることはなく、俺がここに存在することは当然とばかりに、彼女は平然としていた。
「ト、トイレの次は更衣室かよ……」
5時間目は体育だった。
体育の授業ということは、すなわち着替えをしなければならない。
女子トイレであれば個室になるため、さほど気負わずにいられたが、クラスの女子みんなと一緒になって裸体を晒し晒される勇気は俺になかった。
が、
「彼女としては思うところあるけど……緊急事態だし、それにこれから何回だってこういうことがあるんだから、観念しようか」
と宮下に諭され、半ば強引に女子更衣室へと連行された。
廊下を歩くにつれて男子生徒の影は減り、周囲は女子一色となっていき、やがて俺を含めた一同は揃ってその一室へと吸い込まれていく。
「私の下着姿はともかく、他の子に目移りとかしちゃダメだからね」
「冗談に付き合ってられる精神状態じゃないんだが?」
「……冗談、って感じでもないんだけどなぁ」
『女子更衣室』と丁寧に記されたプレート、それから一目で女子を模したシンボルと分かるマークの貼られたドアを、俺を茶化しながら開く宮下。
俺は意識的に目線を下げて、そんな彼女の後ろに続いた。
「そろそろジャージの季節だね」
「だからって女の子が日焼け止め忘れるとかないでしょ、もー」
「見てみこのブラ。大人っぽいのにしちゃった」
「夏美、攻めたねぇ」
「朝練もあったからさ、わたし匂わない?大丈夫?」
「制汗スプレー使ってたじゃん。気にしすぎ。あんたが臭かったら男バスの男どもなんてもう肥え溜めだよ?」
女子だけの世界が、そこに広がっていた。
「…………うー」
「やっぱり抵抗ある?」
「わたし、どっちかといえばこういうラッキースケベな状況はむしろウェルカムな心持ちのつもりだったんだけどな……」
「なんならもうスケベされる側だからね秋人くんは。心中お察ししといてあげる」
「ありがとう、って言えばいいのか……?」
気を逸らすためにもなるべく宮下と会話をしながら、とにかくあくせく制服を脱ぎ下ろしていく。
「……で、私のことは見なくていいの?」
「自分の裸姿だけでもうわりと腹一杯だよ」
「そうだよね。小春ちゃんは私なんかより魅力的な体の持ち主だもんね」
「そ、そういう意味じゃねえよ。宮下、分かってて言ってるだろ?……それに」
「?それに?」
「そういうのは、お互いちゃんとした状態で、ちゃんとした場所でだな……」
「……」
「……?み、宮下?」
なぜか生まれる静寂。それからくすくすと、宮下の笑い声が遅れてやってくる。
「お堅いねぇ、秋人くんは」
「お、お前のためでもあるんだからな?別に俺がヘタレだとかじゃないんだからな?その辺、ちゃんと理解しとけよ?」
「はいはい……んじゃ、私はそんな彼女想いの彼氏がラッキースケベに巻き込まれないよう周囲を見張っておくから、早いとこ着替え済ませちゃってよね」
「へ?宮下、もしかしてもう着替え終わったのか?」
「私ってより、他の子たちも大体ね」
「マ、マジか。いや、いつもの制服と作りが違うから脱ぐだけでも手間取ってさ……」
「ふふっ。こうやって女子暮らし初心者を見るに、私も伊達に16年女子やってなかったみたいだね」
「こ、こんなことで誇らしげになるなよな」
俺は得意げな宮下に水を差しながら、女子としては随分とぎこちない着替えを再開した。
「ところで私はしっかり下着姿の小春ちゃんを脳内カメラに収めといたからね」
「消せよ。不公平だろ」
「自分で勝手に私を見ないって決めたんじゃん……あ、そうだ。乳印はちゃんと済ませた?」
「話を逸らすな。けど、そういえばそうだったな」
"女子は更衣室を利用する際、利用届に氏名を記入し、乳印を押す"必要がある。ブラジャーを一度外し、備え付きの特大サイズの朱肉に胸を押し当てる。それから胸に色がついたことを確認し、印鑑のようにその胸で用紙に押印をする。
中学校ではやらなかったはずだが、高校生となれば個人の発育にも違いが出てくるため、これで実際に誰が利用したのか特定することが容易らしい。
「秋人くんはクラスでも1、2番って大きさだから、少し枠からはみ出ちゃってるね。羨ましい。私もいつかこんな乳印を押したいなぁ」
「ちなみにわたしは胸の大きさ、あまり気にしない男だぞ」
「それは持ってる人間が言っていいセリフじゃないかな。あと秋人くんじゃなくって私が気にするの。ちょっと自分が素敵な女の子だからって、なんか少し自惚れてない?」
目つきが鋭さを増し、普段の宮下であればあまり見せない表情が俺へと向けられた。これが女子の嫉妬というやつなのだろうか。
「……よ、よし。着替え終わり。さあ宮下、早く行かないと授業に遅れるぞ」
「あ、逃げた!」
三十六計逃げるに如かず。俺は、急いで更衣室を飛び出し、女子の集まる体育館へと向かった。
「女子の体、むっず……」
今日の体育は俺が最も得意とするスポーツ、バスケだった。
にも関わらず、いざ試合を始めてみると、ゴールまでの身長差が酷いわ歩幅が噛み合わないわ、束ねてるのにぴょこぴょこやかましい自分の長髪にイライラさせられることもあった。
極めつけはこの巨乳だ。男の俺がわざわざブラジャーを着けてやっているというのに、走るたびに揺れ動いて自己主張を欠かさない。そんな双丘を胸部に植え付けられてバランス感覚を崩すなというのが無理な話だ。
「バスケで駄目ならもう体育補習だろこれ……」
得意のバスケで活躍してみせるどころか素人の、それも女子を相手に悪戦苦闘し、さらにはチームの足手まといにまでなる始末。
これでは体育の成績が悲惨なことになりそうだ。
「慣れない女の子の身体なんだし、仕方ないでしょ」
「うー、それにしたってなぁ……」
「あと、女子の体育はけっこう緩いからね。今日みたいにガツガツしてたらクラスで浮いちゃうかもよ?」
「え、マジ?」
「たぶん男子よりかは。それにさっきの秋人くんでも普通に女子の平均点くらいは貰えると思うから心配しなくても大丈夫だよ」
「そんなもんかねぇ」
「……ていうか、どうせ世界を元に戻せたら、女子でいる間の成績なんて関係ないんじゃないの?」
「どうなんだろうなぁ……お、元凶がちょうどいるぞ」
「MVP特権だね。今日は杉野さん」
女子バスケ部のエースである杉野が今日の体育でMVPを獲得したのは当然のことで、特に驚きはしなかった。彼女は女子更衣室を訪れた中井を前に衣服を脱いで、ベンチにゆるりと腰を掛けた。
"体育でその日1番活躍した女子は中井に体を拭いてもらえる"。
そのため杉野は日々の部活動で鍛えられた健康的な女体を惜しげもなく披露した。
「ぶっ!?」
「?西本さん、どうかした?」
「あ、い、いや?な、なんでもないから、あはは……」
彼女の裸体は全体的には中性寄りだが、それでも出るところは出て締まるところはよく締まった、ちゃんと女の子らしい体つきをしていた。
「ちょ、秋人くんは見ちゃダメでしょうがっ!」
「わ、悪い!でも杉野はまだ下着姿だったから、ギリセーフってことで……!」
更衣室の端で他人に聞かれないよう小声で話す俺と宮下。
「杉野さんは綺麗な体をしているね。じゃあ始めようか」
そんな俺たちのことなんてお構いなしに中井は杉野の汗拭きを始めたらしい。
「……ま、じゃあ私たちも早いところ着替えて、教室に戻ろ?」
「そうだな。あー、ほんっと疲れた」
「秋人くん、今日そればっかりだね」
そうして着替えを再開させる俺たちを横目にあいつがほくそ笑んでいたことに、俺は気付けないままでいた。
×××
女子化に慌てふためいた今朝の出来事が遠い昔のように感じる。
「ふぅ、とりあえず今日は一段落か」
放課後。宮下と並んで帰路に就きながら、俺はようやく一息をついた。
「どうだった?女子としての1日は」
身の回りの変化に戸惑いながら、中井への警戒も欠かせず、精神的な疲労は既に限界を迎えていた。
「家に帰って早くこの女装を脱ぎ去りたい」
「女装とは違くない?ていうか、男物の服とか現実改変でなくなってたし、仮に持ち合わせていても女子の身体じゃ色々合わないと思うよ?」
「……」
「つまり秋人くんはしばらく女装の毎日だね」
「すみませんでした女装じゃないです」
痛いところを突かれて、俺は素直に前言を撤回した。
しかしなるほど。たしかに下着やシャツ、スカートなんかは1日着けていてなんら違和感がないほどこの身体によく馴染んでいた。レディースが自分に合っているというのは男としては屈辱的なことだが、俺がこの身体でいるうちは観念するべきなのだろう。
「それにしても、進路は残念だったね」
今日の学校では最後に進路調査が行われた。
「秋人くんは物理学者が夢だったのに、女の子になっちゃったから」
「まあ構わないさ」
"女子は進路志望に文系を選ぶのが当たり前"だ。たしかに俺は物理学者を目指して理系科目をめちゃくちゃ勉強してきたが、今は女子であるので、特に躊躇いもなく俺は文系を志望した。昔から抱き続けた夢で、そのために努力は怠らず頑張ってきたが、これを機に諦めることにしよう。
「ただいま」
「おじゃまします」
現実改変に関しては大体どういったものか把握することができた。現状こちらで打てる手はないし放課後になってまで宮下と考察するような内容もないけれど、なんとなく流れで俺の家に集まっていた。
まあ、彼氏彼女の関係なわけで以前から特に理由なく自宅に招いたりはしていたのだが。
ゲームでもして遊ぼうと引き出しを覗きこんだらゲーム機が消失していたり、宮下がクローゼットを勝手に開けて俺を着せ替え人形にさせようとしてきたりと、現実改変の影響に振り回されながらもある程度は落ち着いたひとときを過ごす。
「ん?誰か来たか?」
そんな平穏のなか鳴り響いたインターホンに、俺はなぜだか嫌な予感を感じ取った。
「あれ?ご両親はお仕事で、弟さんは部活じゃなかった?」
「……宅配だろ、たぶん」
自室を出て階段を降り、リビングに入る。モニター越しに来訪者を確かめようとして、唖然。
そこには見知った顔が表示されていた。
「あ、秋人くん……どうしよう……?」
「どうするも、なにも……」
中井哲也。俺たちを散々苦しめる改変者本人が、今になって俺の自宅を訪ねてきたのだ。
その2 ↓
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